ジモトーク

純情商店街入り口

京都民になって10年が過ぎました。が、それ以前に千葉県民歴25年の僕は、いまだに都会が好きではありません。狭苦しく空気のよどみがちな東京より、広々として風が通る千葉の方が好きです。

そのため、観光地として知られる高円寺の近くに長らく住んでいながら、興味を持つことはありませんでした。いつもほうじ茶を買いに行くお茶屋以外、街のことを何も知りません。


そんな折、僕の中で久々にカメラ熱が上昇してきました。そこで、ほうじ茶を買いに行くついでに、写真を撮りながら街を観察してみることにしました。

(炎上対策: 主目的はほうじ茶の買い付けです。緊急事態宣言下なのは知っていますが、血中ほうじ茶濃度が低下すると僕は死ぬので、これは必要な外出です。)


Giant Steps

もともと僕は、古くて狭い商店街より、広くて便利な郊外型ショッピングモールの方が好きです。それでも高円寺の観察をするうち、独特な良さを理解できるようになりました。

高円寺の商店街はチェーン店が少なく、個人の店や古くからの店舗が多いです。商売の内容にも多様性があり、それぞれ個性があります。ほかの街の商店街は単に小さな店の配列になりがちですが、高円寺は多彩なモザイクです。

またレトロ感がありながらも、ところどころ店舗が新陳代謝し、フレッシュでキレイな店も生まれています。それでいて「レトロ」「下町」「おしゃれ」などのキーワードを押し出すことをせず、自然体でいるのも良い。


大一市場

郊外型ショッピングモールのような施設は確かに便利で快適ですが、実用性ばかり追求しており、実存性が欠如しています。かけがえのある、代替可能なサービスです。ライフスタイルを機能面から考えるばかりで、唯一性や土着性への考慮がないので、愛着が沸きません。

かたや高円寺には不便や不合理性が多く残っていますが、それらを飲み込んで生まれる「味」があります。カメラを持って歩けば、いたるところでこの街ならではの「味」を発見できるでしょう。

世界の合理化の波は加速するばかりで、誰にも止められません。だからこそ高円寺のような街が特別な意味を持ってきます。合理性・経済性といった無機質な指標だけにとらわれていては、本当の安心は生まれません。年季を重ねて出た「味」、言い換えれば人工的に一朝一夕には生み出せない伝統と歴史があってこそ、深い安心感を得ることができるでしょう。


しかし、年季を重ねれば味が出るわけではありません。例えば僕の住んでいるマンションは築40年近いですが、味はなく、ただのポンコツハウスです。経年劣化で年々住みづらくなっていきます。千葉に帰りてえ。



こうして千葉熱が高まってきたので、今年は千葉に引っ越します。やっぱ千葉だぜ!