バック・トゥ・ザ・現在

琵琶湖

久々に企業との仕事をいただき、ミーティングのため新幹線で大阪へ行き、帰りに滋賀県の琵琶湖の周辺を観光しました。

滋賀を観光するのは初めてです。琵琶湖は広々として風の通りが良く、東京に引きこもっていた僕の心に清涼な風が吹き込まれました。山々のシルエットも目に面白い。僕は漫画で使えそうな光景を探しながら、湖畔を歩きました。


しばらく行くと、釣りの準備をしている一人の老人と目が合いました。老人は僕に声をかけてきました。僕は軽く挨拶をして立ち去ろうとしましたが、そこから老人の20分にも及ぶマシンガントークに巻き込まれました。

老人は次のような話を、近江弁で矢継ぎ早に展開しました。

なんということでしょう。僕は未来から来た僕に出会ってしまったのです。

そう確信した理由は、老人の思考回路が僕と全く同じだったからです。世間では誰一人として「良い」と思っていないことを、当人だけが「良い」と盲信して追求している。簡単な事実を誤認している。聞き手の心情を顧みず、信念に反するものを容赦なくディスる。論理的に隙間だらけの持論なのに、声高に主張する。他人が自分と同じように考えないことを嘆く。この老人は、僕がこのまま50年生きた先の姿そのものでした。

どうにかしてトークショーから脱出した僕は、重い足取りで京都駅に戻りました。僕は僕なりの「正しさ」を軸に創作に臨んでいますが、それを突き詰めた結果辿り着くのがあの老人の姿ならば、僕はその道を進むべきではありません。自分を自分という檻に閉じ込め、その外に泥を投げ続けて生きるなど、人として正しいとは思えません。その生き方に美も善も感じません。しかし、僕がいま頼りにしている「正しさ」を捨てたら、創作の軸は失われ、何をどう描いていいかわからなくなってしまいます。一体、どうすればいいのか。


僕は駅周辺でうどんを食べました。麺はコシがなくフワフワしており、つゆは塩気ばかり強く感じ、だしの香りは薄い。自己不信は、僕の好物のうどんの味をひどいものに変えていました。

…いや、自己不信を差し引いても、ひどい味でした。麺もつゆもまずい。冷凍うどんよりクオリティーが低くて750円。

なんだ!あのうどんは。