『メシテーション』を公開しました

メシテーション

『メトロブルー』以来となる、久々のギャグ漫画を公開しました。登場人物はおっさんとキャベツのみという、非常に地味な作品です。どうぞご鑑賞ください。


以下はトリビアです。本編の読後に余力があれば、ついでにご覧ください。

登場人物

凡河内 羊

作中で主人公の名前は呼ばれませんが、設定では「凡河内 羊おおしこうち よう 」と命名されています。

珍しい苗字ですが、同姓の有名人に古今和歌集の四撰者の一人「凡河内躬恒おおしこうちのみつね」がいます。

由来は、「平凡な人」を意味する「夫(ぼんぷ)」、および欲望のまま生きる凡夫を指す仏語の「異生羝心(いしょうていようしん)」からスタートしています。そこから実在する名前に寄せようとして、ちょうど僕が古今和歌集を勉強中で「凡河内躬恒」の名前を覚えていたので、「河内 」となりました。

略すと「凡羊(凡庸)」になる点や、「O(オー)」の連続するリズミカルな響きが気に入っています。でも作中で一回も呼ばれない。

部屋と間取り

部屋

僕が住んでいるボロマンションとほとんど同じ間取りです。ただし作画上邪魔になるプロップは削っています。実際の部屋はさらに物が多いため、非常に狭いです。

キッチンも狭く、IHコンロが1口あるだけです。しかし多くの一人暮らし賃貸マンションはまな板を置くスペースすら無いので、この物件はまだマシです。でもやっぱり狭い。早く引っ越したい。

瞑想法

ヴィパッサナー瞑想

主人公が行っている瞑想法は、ヴィパッサナー瞑想です。近年マインドフルネスなどで広まっている瞑想法なので、ご存知の方も多いでしょう。

やり方は、日常動作の中で自分自身の内面に意識を向け、起きている変化を観察し、つど沸き起こる妄想に気づいたらそれを手放す、ということを繰り返します。無意識に湧き上がる苦悩や煩悩を捉え、そこから解放されていくことで、悟りに近づいていきます。

主人公はキャベツを切りながら、「キャベツを切っている」という無意識レベルの行動を繰り返し意識に上げています。その過程で意識が脱線して妄想に囚われますが、その妄想に気づいて手放し、またキャベツに集中します。最終的には妄想に飲み込まれ、遊離状態でカレーを完成させます。修行が足りないのでしょう。

ちなみに僕も7年以上瞑想を実践していますが、ご覧の通りの無明むみょうぶり。そろそろ出家しようか。

本作のコンセプト

直近の3作『かぜはふり』『光のカミーユ』『ル・ナフィア』は、現代漫画のルールを意図的に逸脱した作品でした。そこで習得したコンセプトを、ギャグに応用したのが本作です。

前3作では、快感や興奮を刺激することは意図的に避け、非論理的で詩的な美の体験を目指していました。本作でも同様に、筋や演出だけでない面白さを探究しています。別の言い方をすると、演出という調味料による刺激で楽しませるのではなく、人物や出来事という素材自体を味わっていただくようにしています。

この面白さは、古典芸能、絵画、音楽、詩などから拝借したものです。一例として、狂言の笑いも参考にしています。

狂言では、意外性などの筋の面白さよりも、おおらかさや祝言しゅうげん性が重視されます。現代のお笑いのように笑いのツボをついてウケを狙うとのは異なる発想であり、別種の良さがあります。こう書くと堅苦しくて面白くない感じがするかもしれませんが、野村萬氏の舞台などに触れると、笑いの密度と大きさに圧倒されて、泣き笑いしてしまいます。さる1月21日に「萬狂言 冬公演」で演じられた『鶯(うぐいす)』を鑑賞した際は、太郎冠者のバカバカしい行動やムチャな理屈に笑うだけでなく、哀愁や同情など様々な感情を刺激されました。凡庸なお笑いが1点のツボを集中攻撃してくるのに対し、深大な時空に包まれる感覚。


現代漫画は、ガワ(見た目と設定)が違うだけで、「面白さ」の定義が同一かつ矮小に感じます。どの作品も共通して「泣ける」「笑える」「興奮する」など数カ所の快楽神経を刺激しようとしており、そのための末梢的技巧の洗練や複雑化に心血を注いでいます。その他の感情や可能性があることの検討すらなされません。刺激の精度は向上し、広告と情報技術の発達も重なって、漫画産業はそうした刺激の中毒者を増やすことで膨張を続けています。幸か不幸か病的に飽きっぽい性質の僕は、そうした刺激からもう何の感情的充足も得られません。見る前から飽きている。それに漫画より圧倒的に面白いものが無数にある。僕は娯楽文化から多様な面白さを探し出し、従来の漫画の文脈に縛られず、もっと根源的な「絵+文字」のレイヤーから漫画を捉え直し、表現したいと考えています。

そんな大それたお題目とは裏腹に、本作はいつにも増してエキセントリックな漫画になってしまいました。僕の中にいる非常に意欲の低い読者は、「ギャグだと思って読んだらイカれた幻覚を見せつけられた」と苦情を訴えています。広く楽しませるための工夫や能力に欠けている感は否めません。もっと面白さへの考察を深め、表現力と説得力を磨きたい。