読み切り漫画『光のカミーユ』 は、『メトロブルー』や『かぜはふり』同様、作画に Blender を活用しています。その使い所を、各シーンのトリビアを交えながら、ざっと紹介します。
『散歩、日傘をさす女性』
このシーンでは、色と構図を決定するためだけに 3D を使っています。草や地面はローポリで大雑把に配置しています。これをレンダーして、Clip Studio Paint に取り込み、手書きで加筆しました。強風になびく草は、ブラシで手書きするほうが表現しやすかったので。
こうして名画のシーンを 3D でモデリングしてみると、実際の被写体がどういう画角で描かれたかが正確に把握できて面白いです。
『ラ・ジャポネーズ』
うちわや絵具などのプロップが多く、手で描くにはキツイシーン。ここぞとばかりに Blender が本領を発揮しました。
作中でモネはこの絵に対して激怒していますが、実際のモネもこの絵が嫌いでした。晩年のインタビューで『ラ・ジャポネーズ』の自己評価を尋ねられた際、「ゴミだ」と吐き捨てています。おそらくその理由は、第一にモネが探究していたいわゆる印象派的な画風ではなく、使い古された人物画の画風を採用していること。第二に、当時の日本ブーム(ジャポニスム)に露骨に迎合していることでしょう。
印象派としてのモネが認められるのはカミーユの死後であり、生前に売れた絵はこうした大衆迎合的で既視感だらけの絵ばかりでした。いつの時代も、同時代に辟易としているアーティストは苦労しますね。
『赤い頭巾、モネ夫人の肖像』
モネはしばしばラフ画のような、省略だらけの絵を描きます。この『赤い頭巾』も 元絵 は省略が激しく、傘をどう構えているのかすらハッキリとしません。パッと見では絵の左上に向かって柄が伸びていますが、茶色い傘の形を見ると右上に向かって構えているのが正しいと気づきます。元絵と整合性がとれるようにポージングするのが大変でした。
なお、この絵は奇妙な点が多いです。
- 屋外にいるカミーユを屋内から描いている。アトリエ製作でも野外製作でもない。
- 筆のブロッキングが異常に大きく、塗り残しが多い。
- 遠景でもないのに、モデルの顔を省略している。
- The Red Kerchief | Cleveland Museum of Art の解説ビデオによると、X線で見える下絵は全然違う構図。室内の両サイドに二人の女性が座っていた。
モネの意図は不明ですが、赤い頭巾と白い雪の対比を見て構図を閃いて、即興的に描いたのかもしれません。モネはこの絵を気に入っていたようで、生涯売ることなく手元に残しています。
さらに余談ですが、この絵は1868~1873年のどこかで描かれたと推定されており、『日傘』(1875年)や『ラ・ジャポネーズ』(1876年)より前です。すなわち、『光のカミーユ』では時系列を入れ替えています。寒空にたたずむ幽霊のような雰囲気が病気とマッチしたので、あえて歪めました。
『死の床のカミーユ』
モネの元絵は、感情が溢れ出すぎでストロークが荒く、何が描かれているかほとんど判別できません。絵画の解説を見たり、当時(19世紀フランス)の葬儀の習慣を調べて、カミーユのポーズやプロップを決定しました。
この絵の実物は、2017年にオルセー美術館で見てきました。直情的すぎるタッチに強く胸を打たれたのを記憶しています。ただし『光のカミーユ』の構想を思いついたのはその時ではなく、ずっと後に『かぜはふり』の作画資料を集めているときでした。ブラシのタッチを学ぶ目的でモネの絵画を並べたら、それだけでカミーユの生と死のストーリーができてしまったので、そこから作品化しました。
『睡蓮』
モネが最後に住んだ屋敷は、現在は観光地化されています。内装は生前の写真などを元に再現されているため、作画資料を集めるのには苦労しませんでした。だからって、1回しか登場しないシーンなのに、壁の絵を全部再現したのはやりすぎでした。寸法まで実物に合わせてあります。こういう些事に膨大な時間をかけるのは僕の悪癖です。本当に良くない。
なお老モネがかけている丸眼鏡はオシャレ目的ではなく、白内障の手術の後遺症を和らげるためのものでした。白内障にかかると世界が黄みがかって見え、手術後は逆に何でも青く見えてしまうので、補色である黄色のカラーレンズを付けることで、ホワイトバランスを補正したようです。ちなみにレンズはカメラでもおなじみのカール・ツァイス製。
「日本風の橋」から睡蓮の池を眺めるモネ。この構図は実際の写真のオマージュです。(Claude Monet Stands on Bridge in Garden at Home in France, 1900. _ Photo by: George Rinhart)
二人目の妻アリス・オシュデに先立たれた後、老モネの面倒はアリスの連れ子であるブランシュ・オシュデが見ていました。年老いたモネがこのシーンのように一人で杖を突いて庭やスタジオに向かうことは無かったはず。
とはいえ86歳で死ぬ直前まで巨大壁画を描いていたことから分かるように、モネの肉体は非常に強靭でした。長年過酷な環境で野外製作に打ち込んできたおかげでしょう。ひょっとしたら杖すら持たず、スキップでスタジオへ向かっていたかも。
このシーンで描いている『睡蓮/朝』は、モネ最後の作品群の1つです。モネはオランジュリー美術館に寄贈するための8枚の巨大壁画を、死の直前まで描いていました。
モネは最後の30年間、睡蓮を繰り返し描いています。世間の人々は「金儲け目的」と批判しましたが、作品を見ればモネがそんなつもりで描いていないのは明らかです。タッチは年々複雑になり、白内障で失明しかけても描き続け、晩年は黒魔術の域に達しています。幅12メートルもある絵を、8枚同時に、10年以上にわたり、80歳を過ぎた老人一人で描き続けるなんて、尋常ではありません。底知れない生命エネルギー。
ラストシーンは、当初はやはり Blender で作画していました。しかし何十パターン作ってもしっくりきません。ストロークがうるさすぎたり、妙にサイケになったり。
最終的には人物モデルだけレンダーし、エフェクトも背景も Clip Studio で手書きしました。4日以上 Blender をいじったのに。
『光のカミーユ』の制作は、調査も作画も量が多く大変でした。しかしこれしきで弱音を吐いたらモネに巨大ブラシで殴られると思い、どうにか耐え抜きました。
トリビアやメイキング裏話はまだまだありますが、キリがないので本日はこれにて。オゥルヴォワール (さようなら)。