能はオチまでバレてても感動できる

は漫画のストーリーを考える際、能から多くのインスピレーションを得ています。

能はストーリーがとてつもなく単純です。ほとんどの曲は、200文字もあればオチまで語れます。演じられるシーンは、前段・後段の2シーンしかないものが大半です。そんな単純かつ短いシナリオの中で、登場人物の心を鮮明に描き出し、観客の心を揺さぶります。


昨今の漫画や映画は、奇抜な展開や、「観客の予想を裏切る」シナリオを重視することが多いように感じます。そのために伏線を巧妙に張り巡らせたり、矛盾のない設定を考えるのに四苦八苦しています。(けっきょくクリシェに陥ったり、設定を追うのが苦痛になったり、物語が破綻することが多い)

一方、能はオチまでバレてる作品でも、表現方法や演出次第で観客に感動を与えることができます。伏線や設定は最小限で、「美しいその一瞬」を描き出すために全力を注ぎ込むため、それが可能になっています。


ちなみに過去に僕が観た能舞台で一番グッと来たのは、2013年に新宿御苑で演じられた 『井筒』 でした。この曲は能のレジェンド・世阿弥ご自慢のキラーチューンです。家に帰ってこない夫を想う女の霊が、夫の服を着て舞う、という話です。

女霊は夫への怨みや恋慕を謡って夢中に舞い、井戸の底に写る男装した自分の姿(=夫)を見て、「なんて懐かしい」と感極まり、泣き崩れ、その姿は消え去り、静寂だけが残ります。

鑑賞中、僕の隣の席に座っていた干し椎茸のような老人が、僕と同じタイミングで号泣していたのを覚えています。


僕が 『をんがへし』 で描きたかったのは、そうした刹那的な美しさでした。できるだけ設定やシナリオをこじらせないまま、感情が高まる瞬間を鮮烈に描きたかったのです。


…が、バイクがトランスフォームしたり爆風が吹き荒れたりと、いらん工夫をぶち込みすぎました。ぜんぜん能を消化できていません。世阿弥パイセン、サーセン。